神奈川県内の各構成自治体の紹介


横浜市

写真1:みなとみらい地区
     臨港パーク 潮入の池 

みなとみらい地区臨港パーク潮入の池 横浜の開港は1859(安政6)年。以来約140年、日本を代表する国際港湾都市としての役割を担って横浜は発展してきました。
 みなと横浜の中心、横浜から桜木町にかけての「みなとみらい21地区」は1983年の着工以来、ランドマークタワー、クイーンズスクエア等の高層建物が建ち並び商業・業務地区として整備してきたと同時に、水際は水と緑に親しめる公園として整備されています。水際を生き物の生息空間として復元する試みが行れ、市民や子ども向けの海辺生物とのふれあい体験イベントなども催されるなど、新しい水辺空間が生まれています。

写真2:金沢湾の人工海浜と
     自然海岸の残っている野島

金沢湾の人工海浜と自然海岸の残っている野島 また、鎌倉時代からの景勝地、市域の南部金沢湾には、延長1kmの人工海浜を整備し、市内唯一の海水浴場「海の公園」となっています。さらに連たんして、今も自然海岸の残っている「野島公園」があります。湾内は、横浜で最も多様な魚が生息し、漁業や海苔づくり等も行われています



川崎市

写真:川崎マリエン

川崎マリエン  その昔,川崎の旧大師河原地先は通称「大師の海」と呼ばれ,多摩川が運んだ土砂によって,はるか沖合までも遠浅の海が続いており,海苔養殖や貝類の採取によって生活を営む漁村が存在していました。しかし,工業化に伴う大規模な埋立等によって,漁場は失われ,大師の海の記憶も過去の中に埋もれようとしています。
 この様な歴史の変遷を経て今,川崎の港と市民の交流拠点として平成4年「川崎マリエン」が東扇島にオープンして,市民と港がふれあう場ができました。 このマリエンは各種「港湾機能」を備えた施設であり,高さ60mの巨大な門といった建物で,最上階からの眺望は素晴らしく,川崎市の臨海部が一望のもとであるのはもとより,遠く房総半島まで望むことができます。なお,東扇島はシビル・ポート・アイランド(市民の港)として,緑豊かな海浜公園や教育文化施設など市民の憩いの場も計画されており,ちょっとした海浜の散歩が楽しめるようになると思います。


横須賀市

写真:猿島

猿島(横須賀市) 横須賀市は、神奈川県の南東部、三浦半島の中央に位置し、東は東京湾、西は相模湾に面した温暖で緑豊かな土地です。  古くは鎌倉幕府成立に貢献した三浦一族が居城を構え、また幕末には黒船が来航し、日本近代の幕開けの場となりました。  産業面では、世界的な情報通信技術の研究開発拠点である「横須賀リサーチパーク(YRP)」を擁し、文化施設としては全国屈指のオペラハウスである「横須賀芸術劇場」があります。  中心市街地から東へおよそ1.7kmの沖には、東京湾に残された唯一の自然島「猿島」があり、バーベキュー、海水浴などが楽しめるため広く市民に親しまれています。


三浦市

写真:現在の三浦海岸

三浦海岸 いまとなっては、昔のはなし。三浦の池は入江が多く、海岸風景には良い場所が多く、そのひとつがここにある上宮田陣屋下(三浦海岸)明治28年頃の折井愚哉という画家のスケッチである。大正の中頃まで鰯が豊漁であり、紀州のアグリ網が進出されたと伝えられている。鰯から油をとったり、砂浜の上に干したものもあったし、箕の上にゆでた煮干しをひろげて干し上げた風景もこの辺の海岸一面に展開されたこともあった。
 遠方の突兀した山は、今の三浦富士で、それより東方の尾根がつづき、千駄崎に至るこの岬は、現在東京火力発電所のあるところ、当時は人手の入らぬ自然がそのままの海岸風景であったと思われる。
 今は、海水浴場として三浦海岸がクローズアップされ、毎年夏は、百数十万単位の京浜方面からの海水浴客で賑わう。夏以外でも砂浜でレクレーションを楽しみに、数多くの人が訪れる海岸の風景、建物が立ち並び昔あった多くの防風林(松林)があったが、今は東京湾に面し、広い砂浜の海岸線が、いまも昔も変わらず白波が砕けている。

スケッチ:上宮田陣屋下(三浦海岸)

 (注)アグリ網(揚操網):巻網の一種。網を打ち回して魚群を囲み、網裾の沈子網を繰り揚げて捕らえるもの(鰯・鯵・鯖など)。=巾着網ともいう。


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