東京湾の生物 (春夏秋冬)

神奈川県水産技術センター 工藤孝浩  


 私は学生時代から、横浜を中心とした東京湾に潜って生物たちの生態調査を続けています。この「東京湾の生物 (春夏秋冬)」では、私が撮影した水中写真とともに、四季おりおりの生物の素顔を御紹介します。



 ・  ・  ・ 


〜 春 〜

  アサリ

アサリ
 潮干狩りをすれば必ずお目にかかれる、東京湾の干潟を代表する二枚貝。東京湾には千葉県下に三番瀬、盤洲干潟と富津干潟いう三大アサリ漁場があり、一般の方々も有料の潮干狩り場で潮干狩りを楽しむことができる。日本のアサリの生産量は1980年代半ばをピークに急減し、全国各地のアサリ漁場では20年以上にわたる深刻な不漁に苦しんでいる。千葉県もその例外ではないが、種苗放流などの努力が実ってか減少の割合は少なく、愛知県に次ぐアサリ生産県となっている。
 神奈川県では横浜市の「金沢海の公園」に多い日には5万人もの潮干狩り客が訪れ、周辺道路に渋滞を引き起こすほどの賑わいをみせる。ここは人工海浜で漁業権がないため無料で潮干狩りが楽しめ、それが人気に拍車をかけている。驚くことに、周辺では種苗放流が一切行われておらず、高い採捕圧にもかかわらず天然発生のアサリだけで資源が維持されている。ここのアサリの資源維持機構に、全国的な不漁を打開するヒントが隠されているかも知れないと、多くの専門家が注目している。

  アマモ

 花を咲かせて実で増える顕花植物。かつて東京湾の干潟の前面にはアマモの群落であるアマモ場が広がり、花が一斉に開花する5月の大潮には花から放出された花粉で水面が金粉を撒いたようにきらめいていたという。アマモ場では、イカ類が産卵しメバルをはじめ多彩な魚類が育ち「海のゆりかご」と称される。しかし、生育には大量の日光を必要とするため、透明度が低い東京湾ではせいぜい水深2mまでの浅場に分布が限定され、浅海域の埋め立てと海水の汚濁によって一時は絶滅寸前にまで追い込まれた。
 現在まとまったアマモ場は、湾口をはさんだ千葉県富津周辺と横須賀市走水周辺に残るのみで、東京都内湾にアマモ場を復元するため1990年代に東京都水産試験場がアマモ移植試験を試みたが成功しなかった。私の所属する神奈川県水産技術センターでは、平成13年に初めて東京湾産アマモの種子生産に成功し、市民ボランティアの協力を得て横浜市の野島海岸に移植した。その後、アマモ場の再生は市民活動として地元に定着し、毎年延べ2,000人を超える方々の手によって野島海岸と隣の海の公園には広大なアマモ場が形成されるに至った。市民と県との協働の成果を、潮干狩りの際には是非ともご覧いただきたい。
アマモ

  ヒメハゼ

ヒメハゼ
 潮干狩りをしていると、砂の中からは目的とする貝以外にも様々な生物が姿を現わす。単調な作業にはすぐに飽きてしまう子供を連れているときには、貝掘りはほどほどにして、砂の中の住人たちを調べる自然観察会をしてみよう。また、干潟面のくぼみにできた浅い潮だまりにとり残された小魚を、網を使わずに手だけで追い込んで捕まえる遊びも一興だ。
 そんな遊びの相手になってくれる小魚がヒメハゼである。東京湾の砂質の干潟に最も多い全長8cmまでの小型のハゼで、干潟の周辺で一生を過ごす。潮干狩りで必ず目にするはずの魚だが、砂とそっくりな目立たない色彩をしているので、その存在に多くの人が気付かないようだ。しかし、繁殖期の夏を迎えると、雄の頭部は黒くなり背鰭はオレンジや黄色に彩られるのでじっくりと観察していただきたい。産業上は全く価値がないが、干潟の優占種として生態系のうえで重要な地位を占めている。





〜 夏 〜


 最近の夏の暑さはハンパではありませんね。暑さに疲れた身体をリフレッシュするには、夜の海辺で潮風に吹かれるのが一番です。夜になっても海の中では、生き物たちが活発に活動しており、生命感にあふれています。元気いっぱいの魚たちを相手に、今夜あたり夜釣りに出かけてみるのもいいのでは?


  スズキ

 東京湾は日本で一番多くのスズキが獲れる海だということをご存知だろうか。年によって若干の変動はあるが、全国の漁獲量の4割もが東京湾で獲られているのだ。大きな口をもち遊泳力にも優れたスズキは、小魚などを丸呑みにして食べる典型的な魚食魚だ。これほど多くのスズキが東京湾で獲られている事実は、その餌となる膨大な数の小魚の存在を示しており、まさに海の豊かさの証しである。
 スズキは岸壁や桟橋などの人工構造物の周りに身をひそめて通りかかった小魚を襲ったり、沖合いを群れで回遊しながら小魚の群れを襲ったりする。その習性を利用した釣り方がルアー釣りである。時に全長80cmを超える大物もかかることもあり、スズキ釣りは大変にエキサイティングである。しかし、東京湾の岸壁の多くはテロ防止を目的としたソーラス条約によって一般人の立ち入りが禁止されているうえ、海辺にアクセスできる貴重な場所である臨海公園などでは釣りが禁止されている場合が多い。希薄になってしまった人と東京湾との繋がりを取り戻すためにも、釣りができる場所が増えて欲しいものだ。
スズキ

  クロダイ

クロダイ
 スズキと並んで東京湾の大物釣りの対象として人気がある魚がクロダイである。クロダイは岸近くの浅い海で生活史を全うし、雑食性で海藻、貝、エビ、カニ、小魚からフジツボまでと様々な餌を食べるため、全国の津々浦々に多様な釣り方が存在する。その中でもユニークなのは、横浜港の沖防波堤で生まれたとされる「ヘチ釣り」であろう。細い糸の先に針一つを結び、ごく軽いオモリを付けただけのシンプルな仕掛けで、餌のカニやムラサキイガイを岸壁に沿わせて自然に落とし込む。足元の水面直下からせいぜい水深3mまでの至近距離がヒットゾーンとなる繊細で奥深い釣りである。
 末永くこの釣りが楽しめるようにと、毎年数万尾単位の人工種苗が釣り団体等によって放流されている。放流に用いられる種苗は、私の職場の隣にある(財)神奈川県栽培漁業協会が生産したものである。秋に全長6cm前後で放流されたる種苗は、翌秋には手のひらほどに成長して釣れるようになる。そして、満2歳以上になると成熟して産卵に参加する。オスからメスに性転換する魚として知られ、成長に伴ってチンチン→カイズ→クロダイと呼び名が変る出世魚でもある。出世にあやかって、おめでたい席を飾る魚として用いる地域もある。

  タイワンガザミ

 鮮やかな青い脚が目を引く大型のカニである。左右が尖った甲羅の幅は、最大20cmを超えるものもある。ただし、青い色が目立つのはオスで、メスは全体に目立たない褐色系である。メスは、古くから「ワタリガニ」と称して東京湾で広く食べられてきたガザミによく似ているが、ハサミ脚の体に近い腕のトゲが3本(ガザミは4本)であることで見分ける事ができる。
 その名から外来種だと思い込まれている方が多いが、もともと少ないながらも東京湾に分布していた在来種である。ガザミに比べて分布域が南に偏っていることと、エキゾチックな体色から誤解を招くような名を付けられたようである。部分的に海水温の上昇があるのか、この20年間で明らかに数が増えたカニである。一方のガザミの減少ぶりは著しく、最近は1年間に1個体が見られるかどうかという状況になっている。どちらもよく似た生態・生活史をもっており、プランクトンとして産み出された幼生は浅い砂地に着底し、魚などに捕食されないよう砂に潜ったりアマモ場などに身を隠しながら成長する。ガザミの仲間は、浅い砂地やアマモ場の減少に伴って全国的に減少しており、東京湾も例外ではないはず。東京湾でタイワンガザミが増えているのは、砂地やアマモ場の減少というマイナス要因よりも、水温上昇というプラス要因の方がより強く働いているためではないかと推測される。
タイワンガザミ





〜 秋 〜


 秋と言えば食欲の秋です。秋には、いろいろな魚が旬を迎えます。東京湾のおいしい魚はいかがですか。


  マハゼ

マハゼ
 わずか1年の命。この春生まれたハゼは浅い干潟や運河で急成長し、真夏の太陽の下で釣り人の針に掛かりだす。ハゼ釣りは江戸時代から庶民に広く親しまれてきた。釣りたてのハゼを船上で揚げて食べる「天ぷら船」は今も人気の江戸前文化である。
 有機汚濁に比較的強く、永らく首都の発展と共存し得た数少ない魚であったが、高度経済成長期の水質悪化と埋め立て攻勢によって大きなダメージを受けた。その後の公害規制等によって水質が改善されて、一時は増えてきたのだが往事の繁栄ぶりには遠くおよばない。一生の生活の場である水深10mより浅い海底の多くが埋め立てられてしまったからだ。神奈川県には、産業構造の空洞化で沈滞した京浜工業地帯を活性化させるため、海辺に市民の賑わいを創出させる計画がある。マハゼには、市民と東京湾岸を結びつける橋渡し役としての期待がかけられている。ハゼ釣りが楽しめる環境づくりを実現するのは大変だが、今ある浅瀬や干潟を厳正に保全することは決してできないことではない。それが東京湾の生物を守る一番確実な方法なのである。

  カワハギ

 漁獲量が多くないため家庭の食卓に上ることは少ないが、料理屋ではおなじみであろう。くせのない白身と濃厚な肝が魅力で、透明感のある刺身の肝和えは絶品だ。おちょぼ口で釣り針から餌をかすめ取る「餌取り名人」として知られ、ねらって釣る魚ではなかった。ところが釣り具の進歩と船宿の努力によって、今や人気の船釣り対象魚である。確かに釣るのは難しい。しかしそれゆえに奥が深く、マニアックなファンが増えているのだ。
 岩礁と砂地が入り混じる浅い海底が住みかで、東京湾では本来湾口域に分布する。ところが、カワハギ釣りブームと同調するように1998年、1999年と2年続きで東京湾にカワハギが湧いた。川崎沖や東京都海面でも釣れたのだが、あの豊漁は潮流と風がもたらしたものらしい。カワハギの稚魚は流れ藻について海面を漂流する習性があるが、潮の流れと風の吹き具合によって流れ藻とともに大量に湾内へ運ばれたようだ。偶然とはいえ、運ばれてきた稚魚が大きく成長できたのだから、東京湾も捨てたものではない。
 この写真も、1999年に横浜港の最奥に係留されている帆船「日本丸」で撮影された。
カワハギ

  マコガレイ

マコガレイ
 江戸時代から明治初期にかけて、日本から多くの動物標本が持ち出されて外国人研究者によって命名・記載された。マコガレイもそのうちのひとつで、産地にちなんでyokohamaeという学名をつけられた。今も東京湾で最も多く漁獲されるカレイであり、その名のとおり横浜は東京湾における一大産地である。
 1980年代前半に急激に漁獲量が伸びた魚で、漁業権全面放棄の後も漁業を続けた横浜の漁業者にとって、まさに救いの神となった。成魚は沖合の泥場を好み、稚魚の成育場所もあまり浅くない場所なので、埋め立ての影響をあまり受けずに済んだのだ。しかし、1990年代になると資源状態が悪化し、長期間にわたる不漁に陥ってしまった。この状況を打開するため、神奈川・千葉両県の底びき網漁業者は禁漁区や一斉休漁日を設けたり、稚魚の種苗放流を行っている。しかし残念ながら、未だ目に見える効果は現れていない。





〜 冬 〜


 北風が吹きすさぶこの季節は、なかなか海辺へとは足が向かないものです。でも、思い切って出かけてみると、足元にある澄み渡った海の美しさに、きっと驚かれることでしょう。運がよければ、寒さに負けまいと脂肪をまとった美味しそうな魚を見ることができるかも知れません。冬に旬を迎える地元産の魚介類を食べて、寒さを乗り切りましょう。


  コウイカ

 釣り上げると大量の墨を吐くのでスミイカとも呼ばれる。肉厚の身には独特の甘みがあって大変に美味しい。しかし、漁獲量が少ないためになかなか市中の小売店には出回らず、寿司屋や小料理屋でそれなりの支払いをしなければ口にできないので、自分で釣り上げるのが一番である。東京湾の船宿では、テンヤと呼ばれる2本の大きな掛け針がついた仕掛けに餌のシャコを結びつけた独特の道具で釣らせる。
 一生を東京湾内で過ごす動物で、春に浅場に生えるアマモなどに産卵する。生まれた稚イカは海底上の動物や小魚を餌に急速に成長して冬には釣りの対象となり、底びき網でも漁獲される。近年不漁が続く底びき網漁業にとっては、冬場の重要な漁獲対象で、神奈川県と千葉県の漁業者は、常緑樹の枝等を束ねた産卵床を海底に設置してコウイカの増殖に務めている。
コウイカ

  マナマコ

マナマコ
 東京湾に潜っていて海底にナマコが目につくようになると冬の到来を感じる。見てのとおり大きな移動をする動物ではないが、夏季は泥や石のすき間に潜って休眠しているため姿を見かけないのである。泥っぽい海底を好むが貧酸素には弱いため、湾奥や深い海底には少ない。
 ナマコは泥の中の有機物を食べるため、これを取り上げて人間が食べることによって海底の浄化に結びつく。かつては、船上から箱メガネでナマコを捜して突く漁が、透明度が上がる冬場の風物詩であったが、高度経済生長期以降は透明度の低下からこの漁はあまり行われなくなった。このままナマコ漁は廃れてしまうのかと思いきや、ナマコの加工品が中国で高く売れるようになり、漁師たちはこぞってナマコ漁を行っている。景気のよい話が乏しい昨今の東京湾の浜で、このナマコフィーバーは久々の明るい話として盛り上がっている。
 東京湾には、写真の様に体が暗緑色の「アオナマコ」と黒色の「クロナマコ」がいる。両者は今のところ同一種内の色彩変異とされているが、将来分類学的研究が進めば別種になる可能性がある。これまではクロナマコの方が味は落ちるとされていたのだが、中国ではクロナマコの方が高く売れるそうだ。よく「所変われば」と言うが、ここまで評価が異なると面白い。

  マガキ

 岸壁の満潮時に水没し干潮時に干上がる部分には、干出や日射への耐性の違いなどにより特定の動物が層状に分布する。マガキはムラサキイガイの下の淡水の影響を受ける所にくっついている。これら付着動物は、懸濁する有機物を濾して食べる生きた浄化装置だ。中でも美味なマガキは食用として取り上げられるため、水質浄化に最も貢献する。
 意外と知られていないが、東京湾のカキが「桁」と呼ばれる鉄製の爪がついた小型の底びき網で獲られることがある。ただし、滅菌処理を施さなければ流通させられないために、そのための設備がない東京湾の漁師は三陸などに陸送しているのだ。つまり東京湾産が別なブランドに着替えて出回っているのである。
 横浜のある岸壁では、毎冬きれいにカキが剥ぎ取られている。毎年取られるためカキは小さいが、栄養を凝縮した小粒のカキが、キムチの隠し味に最高だとして利用されているのだ。これまた意外な東京湾カキの利用法だ。
マガキ



(注)このコラムは、平成13〜14年に当ホームページで連載していた記事に加筆・修正して、平成24年に掲載したものです。

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